クマゴローカフェは日替わり店長がお出迎えします。福井駅前でいつでも楽しくお食事がお楽しみ頂けます。
アクセス
910-0006 福井県福井市中央1丁目22-7 ニシワキビル1F
ストーリー
きっかけはリノベーションスクール@福井
北陸では初の開催となったリノベーションスクール@福井(2015年6月)から話は始まる。リノベーションスクールでは実際の空き物件(遊休不動産)を対象に、受講者がその物件を、どうすればエリアの価値を上げ地域を生まれ変わらせるような形で再生できるのか考え、3日間でリノベーションの事業プランを練り上げる。最終日にその不動産のオーナーに提案し、スクール後の実事業化を目指すというものだ。
物件のあるエリア
福井駅から徒歩5分、駅前商店街「ガレリア元町」のアーケードを抜けた先の一角。かつては飲み処がひしめき合い、日が落ちる時間から会社や工場帰りの人々で賑わっていた。しかし、現在は一部のビルが取り壊され、更地や駐車場と化し、通りは閑散としている。
すっかり人通りが途絶えた場所に、昭和レトロと歓楽街の記憶をそのままに残す「ニシワキビル」はあった。4階建てのそのビルには、以前、居酒屋やスナック、ダンスホール、クラブなどが入っていた。
店の内装や設備が当時の状態でほとんどそのまま残されている。一足中に入れば、まるで60〜70年代の映画のセットのような、どこか妖艶さすら感じるフォトジェニックな室内装飾で見る者をドキドキさせてくれる。
チームでプランを考え、オーナーへプレゼン
6月に開催されたリノベーションスクール@福井では、このニシワキビルを課題として、ユニットメンバーによる企画立案が行われた。何とかビルを復活させたいと願うオーナーの強い思いと共に、まじめに面白い場所を作るべく、メンバーたちは徹夜も厭わずアイデアを完成させた。スクール終了後、ビルの家守会社「舎家(しゃけ)」を立ち上げ、本格的にニシワキビルのリノベーションに取り掛かることとなった。
新しい拠点スナックランド
窓口としてのクマゴローカフェ
ニシワキビルを改装した後の施設名は、「スナックランド」とすることになった。飲みながら深いコミュニケーションを築ける場所の象徴として「スナック」を冠としている。スナックランドの手始めとして、ビルの1階に「クマゴローカフェ」をつくる計画が動き出した。名前の由来は、元々ここにあった「居酒屋 熊五郎」だ。そう、リノベーションと言っても「基本的な用途は変えない」というのが、今回の方針である。のれんやピンクの公衆電話、どでかい招き猫、味わいのあるテーブルセットなど、居酒屋で使われていた道具などを残しながら、できる限り自分たちの力でリノベーションを実施した。
また、解体作業を一般の人が参加できるイベントにしたり、カフェメニューの試食会を行ったりするなどして、リノベーションのユニットメンバーだけで閉じて行うのではなく、興味のある人は外部からでも参加できるようにした。それによってマスコミなどでも複数取り上げられ、遠方からも参加者が訪れるなど、オープン前だというのに、県内外から多くの注目を集める結果となった。
「クマゴローカフェは、女性も中心となって活躍できる場所にしたい」と、舎家の代表である牛久保星子さんは語る。「福井は、『お市の方』のように、仕事も育児もこなす強くたくましい女性が多いんです。私も女性だし、いずれ母になったときに子育てもできて、面白い人々が集まる居心地の良い場所が欲しい」
家守会社舎家の設立
ちなみに会社名である「舎家」は、魚のシャケが海に下り川に戻る「母川回帰」の生態を持っていることから名づけられた。ニシワキビルという基地で育った人々が、あらゆる場所へ泳いでいき、いろいろな経験と知識を携え、また面白いことを仕掛けに基地へ戻ってくるという循環を大事にしているのだ。
最近になって、居酒屋 熊五郎で常連客だったという人が声を掛けてくれるようになった。「居酒屋熊五郎で修行を積んだ料理人が何人も独立していった、というかつての話を聞いて、クマゴローカフェでも、ここを経由して面白い人々が巣立っていって欲しいという思いを新たにしました」と牛久保さん。場所の記憶を残しつつ想いも受け継いで行けると良いと意気込んでいる。
クマゴローカフェは春先のオープンを目指して、今まさにリノベーション中。床張りも、キッチンの設備も、まだまだこれから。にもかかわらず、「この場所で読書会をしたい」「ジブリ好きの交友会をしたい」「ラジオイベントをしたい」など、いろんな人々からの相談や申し込みが相次いでいる。つい先日も2016年のカウントダウンパーティーを行ったが、参加者たちは寒い中小さなストーブを囲みながら、メンバーのつくるシチューでワイワイと盛り上がった。これからニシワキビルが生まれ変わっていく姿を、さらに言えば、自分たちの街が変わる瞬間を、直に感じたいという人々が福井にこんなにもいるのだという証しだと感じた。